八方塞がりの私の日常をその場しのぎで書き溜めております。

‪匿名大喜利を常に募集だけしておきます。‬ ‪気が向いたらブログで紹介します。

匿名大喜利| Peing -質問箱-

 

【今週一冊コレ読もう】崇高なダメ人間!西村賢太 苦役列車

今回の【今週一冊コレ読もう】は、

西村賢太の「苦役列車」です。

 

<目次>

 

 

概要

f:id:umd111:20190616211756j:image

タイトル:苦役列車

著者:西村 健太

発売日:2011/01/25

ページ:176p

 

あらすじ

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。現代文学私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。解説・石原慎太郎

 

3つのおすすめ

①崇高なダメ人間!作者の人となりが読ませる!

②一周回って今風に思う「私小説

③生々しいは汚く、生々しいは面白い

 

 

①崇高なダメ人間!作者の人となりが読ませる!

この本は芥川賞を受賞した作品になりますが、

当時、受賞会見での「受賞の報を受けたときは何をされていましたか?」との質問への

作者、西村賢太の答えが大変話題になりました。

 

「自宅にいて、そろそろ風俗に行こうかなと思っていました 」

 

朝のニュースですらこの発言を取り上げ、

「朝からすごい話題を報道してるんやな」と関心したのを覚えています。

 

加えてこの会見では、

「ダメだなコイツと思いながら楽しく書いているんですが、いつもどこかで『コイツはオレじゃないか』と気付いて落ち込み、結局お酒に逃げるんです」

と言って笑いを誘い、さらにこんな発言をしています。

 

「僕の本を読んで、自分よりダメな奴がいるんだなあと、ちょっとでも救われた気分になってくれたら嬉しいです。それで僕も、かろうじて社会にいていいんだと自覚できるような気がします」

 

作者の西村賢太は、自分が小学生の頃、父親が性犯罪を起こした事で住居を転々とする生活を送る事となったそうです。

 

そして高校に進学をせず家を飛び出し、

日雇いの派遣で貯金なしのその日暮らしを20年近くしていました。

 

自らも29歳の頃暴行事件で逮捕された経験も持っていて、

芥川賞受賞の際も、風俗発言と同じくらい「中卒作家」という触れ込みも話題になった方でございます。

 

って言う人となりが、この本をより深く読み込ませてくれる一番のエッセンスになっていると思うんですよ。

 

というのもこの西村賢太という作家が、

つくづく「崇高なダメ人間」なんだろうと感じる場面が、

たくさん出てくるからなんです。

 

この「ダメ人間」という性質って、

誰しも持っている部分だと思うんですね。

 

そのベクトルが違うだけであって、

根本のところでは欲望に意地汚い部分って誰しもが持ち合わせていて、

それを隠したり変換したりしながら体裁をとっているんだと思うんですよ。

 

そういったなかでも、この西村賢太はきっとダメ人間なんだと思います。

 

会見で自分でいうだけの事はあるんですよ。

ただ、それが他の小説にはないとてつもない深みになっていると思うんですね。

 

それにはこの小説が、

私小説」というジャンルで書かれた本だから

という部分も大いにあるのでございます。

 

②一周回って今風に思う「私小説

私小説1920年頃にジャンルとして確立され、

一大ブームとなったそうですが、1950年頃から衰退したんだそうです。

 

そもそも私小説が何かと言いますとですね、

作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説の事をいいます。

 

じゃあエッセイと何が違うのか、

って事になりますけど、私小説はあくまで小説なんですよ。

 

経験を素材にして書かれた小説であって、

実体験をそのまま書くエッセイとは違うんですよ。

 

ですから、又吉直樹の火花や村田沙耶香コンビニ人間私小説に入るそうです。

あんまりしっくり来ませんが、ウィキペディアで言っているのでそうなのでしょう。

 

結局小説は作者の経験が全く取り込まれない事なんてありませんので、

その境界が曖昧になっては来てしまいますが、

ジャンルのカテゴリーとしては、経験を素材にして書かれた小説が私小説となります。

 

そんな過去に一斉を風靡した私小説のジャンルで、

芥川賞を受賞したのがこの苦役列車でございます。

 

私小説というジャンルから、

この小説は西村賢太そのものの様な部分も多分にあるのだと思います。

 

こういったフィクションのノンフィクション感というのは、

一周回って今風なのではないかと思うんですね。

 

今って、イッテQのやらせを喚いたりして、

何かにつけリアルが求められてるじゃないですか。

 

芸能人の日常の苦労の話も普通になりましたし、

 制作現場の裏側とかも当たり前のようにテレビで流れる様になって来ていますよね。

 

そんなリアルを求める様になった中で、

私小説というジャンルは適任やと思うんですよね。

 

小説という大枠にあるのでフィクションであることは前提に持ちつつ、

本で感じる作者の人となりは作品の主人公のものではなく、

作者のものだと考えられるわけじゃないですか。

 

この感情の所在に、疑いや偽りが無いことは、

ある種今風で、面白い部分だと思うんですよね。

 

③生々しいは汚く、生々しいは面白い

オススメとして今まで上げた2点で、ストーリに全く触れずに進んで参りましたが、

この本の中身の話をしますと、正直な話顔をしかめるほど汚いなぁと思う描写が腐る程あります。

 

芥川賞の会見でもわかるように性に関してもありますし、

作中の主人公が周りの人に向ける感情もそうですし、

それこそトイレの描写まで書いてあります。

 

 

でも、これがこの小説の面白みであり全てなんですよ。

 

 

そもそもですが、汚い描写なんて言い方をしましたが、

性欲が全く無い人や、人に対して汚い感情を全く持たない人なんていませんし、

トイレなんて行かない人なんていません。

 

それを汚いからと言って何故書かないのか、話さないのか、と言ったら、

僕が思うに、話し手も聞き手も汚い部分を直視したく無いからだと思うんですよ。

 

そんな汚い部分を持っている事は自分でも気持ちのいいものではありませんし、

だからこそ目を背けるためにわざわざそういう話はしないんだと思うんですね。

 

でもそこに俯瞰が加わればどうなるでしょう。

 

汚い自分を俯瞰的に自分が見る。

 

それを頭に入れた上で、

この作品を読んでいただければ、

汚い自分を俯瞰する様子が面白く見られるのでは無いかと思います。

 

俯瞰した姿すらも汚いと感じる場面も多いですし、

 

まとめ

この小説で面白い部分をもう一点挙げるとすると、小説に対する執念です。

 

一貫してダメ人間の日常なので、

希望もへったくれもなく毎日を消費するように進んでいくのですが、

唯一の光になる部分が小説を書くこととして描かれています。

 

僕は、つまるところこの小説は西村賢太が好きかどうかで、

見え方が全然変わる小説なのだろうと思っているのですが、

人となりを考える上で光を求めて追いかける姿はとても僕の中では重要な部分でした。

 

ただのダメ人間じゃ無いというのを感じられる部分で、

それがなければただのダメ人間なんですよ。

 

会社の朝礼で「おススメです!」と言える作品では正直ありませんが、

この崇高なダメ人間の素晴らしい私小説をみなさんも読んでいただきたいと思いました。

 

めちゃめちゃ薄いし。